あれから14年

 昨日3月11日(火)で東日本大震災から14年が経過しました。今の1年生がまだ生まれていなかったことを考えると、時の流れを感じます。五城中では昨日、半旗掲揚により弔意を表明しました。

 また、3年生が卒業する前の3月6日(木)に、校長が「14回目の3.11に寄せて」という講話をしました。その中から一部抜粋します。

 [...]毎年やって来る3月11日が意味するところは,犠牲になられた方々への追悼と鎮魂,震災から得られた教訓の継承,復興への願い,防災意識の向上など,たくさんあります。中でも今日私が最も強く言いたいのは,困難に直面したときの人々の連帯と協力です。震災当時は「きずな」という言葉がそれを象徴していました。

 考えてみれば,東日本大震災の前,今から30年前には阪神・淡路大震災がありました。東日本大震災の後も,例えば9年前の熊本地震,昨年は能登半島地震がありました。いずれの地震においてもたくさんの人が被災し,絶望的な状況の中で互いに助け合い,困難を乗り越えようとしました。全国各地から,そして世界中から温かい支援の手が差し伸べられ,ボランティアや医療従事者をはじめ,数え切れないほどたくさんの人々が被災地を支えようとしてくれました。

 自分の記憶にない昔の出来事だからとか,遠く離れた場所で起きたことだからと,人ごとにとらえるのではなく,困難な時こそ人は互いに支え合い,力を合わせることで,より強く立ち上がれるということ,たとえ遠く離れていても,共に今を生きるものとして,これからの未来を創っていけることをみんなで確認しておきたいと思います。それこそが今私が話している理由,そしてこの後,折り鶴を折ってつなぎ合わせ,故郷復興プロジェクトとする理由です。私たちが「3.11」を忘れてはいけないのは,犠牲になった方々への追悼はもちろん,尊い命が失われないように未来へ叡智を伝えていくためです。[...]

 翌3月7日(金)には、全校生徒で白い「折り鶴」を折りました。この折り鶴は市内小中児童生徒が各校で折って紐につなぎ、後に一つに束ねられ、仙台七夕の時期になると七夕の大飾りとして一番町の藤崎前に展示されます。


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